今でも、彼女のその乳房の形と色が、目に焼き付いて離れない。

それは、今から30年ほど前の頃。
私は、大学外科病棟に従事していた頃に、乳腺外科に乳がんの治療で入院されていた19歳の女性の
受け持ち看護師をしていました。

彼女は、何度も行われた放射線療法によって黒色化した、深い傷が残る自身の左胸を見ながら、
「ねえ看護婦さん、私、こんな体で彼氏できると思う?」
と、独り言のようにか細い声で私に尋ねました。

私はずっと、この瞬間を恐れていました。
うつむく彼女に、どんな言葉をかけてあげればいいのかと。

結局私は、何もできず、何も言えずに、ただただ彼女の、そして、彼女の同世代として、
この先の未来に対して、どこからともなく押し寄せてくる言い様のない不安や恐怖を感じていました。

今でも、彼女のその乳房の形と色、そして、うつむく彼女の小さな背中が、目に焼き付いて離れません。

それから数年が経って、美容の「アートメイク」の存在を知った私は、真っ先に彼女のことを思い出し、この技法で乳輪の再建はできないものかと、様々な医療書や文献を読み漁り、可能な限りに症例を探し続けました。
ですが、まだまだインターネットも普及していない時代だったので思うように症例を見つけられないまま、もう無理かなと諦めかけていた時、わずかですが海外に症例があることを知りました。

一筋の光を見つけた私は、続けて日本での実態をリサーチしましたが、そのような活動をしている人はいないことを知り、ならばと、アートメイクもいずれは医療化されるのではないかと予測を立てていた私は、美容アートメイクをしながら技術を磨き、その間、医療での「乳輪アートメイク」への道へと突き進むことになります。

それからは、試行錯誤を繰り返しながら、オリジナルの手法を模索する日々が続きましたが、2006年にご縁をいただき、ある大学病院から「3D乳輪乳頭アートメイク」のオファーをいただけるようになりました。

私が調べた限り、2006年当時の日本では、「3D乳輪乳頭アートメイク」を手掛ける看護師はまだ存在せず、あくまでも私が自分で生み出してきたオリジナルの手法ではありましたが、当時、施術をさせていただいた患者さん達に、「ありがとう」と言って喜んでいただけたことで、正解が何かもわからないままに、ただがむしゃらに突き進んできた活動の日々が、決して間違いではなかったのだと励まされ、一気に報われた気がしました。

19歳の彼女のひと言が私を突き動かし、感謝を忘れずに今日までこの仕事に真摯に向き合いながら走り続けてきたことには、おそれながら自負もあります。
ですが、これまでの活動の中で感じてきたその必要性に対して、「3D乳輪乳頭アートメイク」という技術はまだまだ認知されていないのが現状です。

何度も試行錯誤を繰り返し、ひとつひとつの経験を積み上げて確立した、「T-Style(医療3D+Tアートメイク)」という独自の施術方法。
この技術を広め、ひとりでも多くの患者様に笑顔を取り戻していただきたい。
その想いから、2021年に立ち上げたのが、乳輪乳頭再建の専門ブランド「unfe medical design(アンフェ・メディカル・デザイン)」です。
2022年4月からは、「T-Style(医療3DTアートメイク)」が学べる専門スクール「unfe areola academy(アンフェ・アレオラ・アカデミー)」が開校し、人材育成にも力を入れています。

「unfe」という名前は、

unfearing(恐れない)」
unfeigned(誠実に)」
unfenced(邪魔するものはない)」
unfetter(自由に)」
unfettered(縛られない)」

など、それらに共通する「unfe」が由来となっています。


残念ながら、現代の最新医療をもってしても、乳がんを根絶するには至っていません。
乳がんは、同時にたくさんのものを奪っていきます。
乳輪・乳頭だけではなく、時にはアイデンティティを、時には生きていく力や勇気や意志を、そして時には、大切な人たちさえも。

だからこそせめて、「欠けてしまった自分」と下を向き、笑顔が消え去ることが決してないように、もう一度、心から笑える日々を取り戻してほしい、今の自分を、ありのままの自分らしさを愛してあげてほしい、そう願って、活動を続けてきました。

私の願いは、この世から乳がんがなくなること。

その日まで、ひとりでも多くの方に喜んでいただけるよう、技術の向上と施術者の育成、認知度の向上や施術環境の整備などに、精力的に取り組んでいきたいと思います。


アンフェ・メディカルデザイン 代表 築地育美